福長山順覚寺は備後の国の地頭、上田城主楢崎三河守の伯父楢崎丹下が、回遊し顕密を修め後に、当地で真言宗として離染院を開いた。寛永年間浄土真宗に改宗し、明暦3年(1657)に寺号木仏を受けた。
宝暦2年(1752)に火災で過去帳や、その他の記録等も失われた。
※見学をされる際は、お寺の住職等の許可を得て下さい。
鐘桜門
梵鐘を掛ける寺院付属の建物を鐘楼という。
寺院生活の時報の役割をもつ。門を兼ね備えた鐘楼。
順覚寺の大棟瓦
安政6(1859)本堂の修復。四国菊間にて製作。
壱対製作銘安政6年3月吉日
昭和60年修復時撤収。