山深い三田には、江戸時代広島藩が広い地域に御鷹山を四か所も設置していた。
その昔から鹿や猪などの野獣が多い土地であった。村人たちは、鹿や猪を防ぐために石垣を築いて田畑の作物を守ろうと努めた。
三田の万里の長城と言われた猪垣は、三篠川をはさんで、両側の山里に築いたのである。この猪垣は、寛政年間(1789~1803)に完成した。
現在では、わずかに100mぐらい残っていますが、ありし日の猪垣がそのままに残されているのは幸である。 

年月の経過とともに風化が進み、今ではわずかに面影を残すのみとなっている。

時代の変貌で、大正4年(1915)芸備鉄道建設時、多くの石垣が持ちさられた。

「猪垣」 三田の万里の長城と言われている

最寄り駅 中三田