経尾山西福寺は永禄元年(1558)、僧浄覚が開基。永正7年(1511)が開基とも伝わる
浄覚は周防国大内氏の一族、黒川新左衛門で天文20年(1551)三田の地に隠棲し僧の修行をし、永禄元年(1558)名を浄覚として琳聖院と称して当山を開いた。
浄覚より五世教雲までは有髪の僧であったが、寛永2年(1625)浄土真宗に改宗し寺号木仏をうけた。 七間本堂、入母屋造、桟瓦葺で広縁が回る典型的な浄土真宗本堂。

※見学をされる際は、お寺の住職等の許可を得て下さい。

西福寺の縁紀


鐘楼の梵鐘

鐘楼の屋根には唐獅子が跳ね技巧に凝る。元禄元年(1688)に鋳造された希少な江戸鐘である

西福寺薬医門

薬医門である。(薬医門 : 本柱の後方に控え 柱2本を建て、切妻屋根をかけた門)
西福寺では明治の頃、許可をとって薬を販売していたとか。
平成3年(1991)9月の台風19号で倒壊したため、その後、寄付者により再建された。

西福寺の境内の石塔

西福寺の境内にある。住田屋重代法号という(高さ約1間余、幅約2尺)。
狩留家の住田屋先祖の法名や没年月日が刻まれている

参道を線路が横切る。芸備線の列車

「西福寺」周防の国、大内氏一族 黒川新左衛門が開基

最寄り駅——芸備線白木山駅