外原権現大明神と呼ばれる。
祭神 天御中主命 相殿 吉備津彦命
万治元年(1658)9月7日、郷中より大尾原へ移した。
天文四年(1535)尼子式部少輔敬久朝臣が毛利元就四男の穂田元清と共に高鉢山に猪狩をした時にこの社に参り武運長久を祈り、百貫文を寄進して社殿修復に充てたと伝えられ、その後は社殿も立派となったという。元禄十五年(1702)再建の棟札を蔵す。
高山神社 舞殿
三田で舞殿が残っているのはめずらしい。
屋根はトタン囲いの茅葺である。その中には絵馬が奉納されている。
明治28年1月1日
明治39年9月吉日
手水鉢
正面 漱水(そうすい) 大正5年
木製の鳥居