楢崎圭三翁は、弘化4年(1847)3月4日、高田郡三田村(現白木町三田福永)に生まれた。
翁は明治14年(1881)、広島・三次間の里道の開道を決意し、沿道の人々に献地や協力を要請した。人々から「狂人」「田地盗っ人」と言われながらも、全長十六里余り(65Km)、幅員十三尺(4m)の道路を、明治16年(1883)秋10月に完成させた。
この碑は翁の偉業を顕彰するため、1市22町村5,222人の募金により、明治31年(1898)8月に建立された。また、全国に製炭法とシイタケ栽培法を普及した。
明治30年代、シイタケ栽培法は、胞子の人工培養の方法を考案、全国5万余りの有志に胞子粉末を無償で配って普及させた。これらは明治40代、中国地方一円に広がり、遠くは北海道、九州まで普及した。
楢崎圭三翁は開道の功により明治19年12月17日に藍綬褒章を下賜された。
明治26年、広島県道に編入され人々はこれを「楢崎街道」と呼ばれている。
現在は、バイパス道路も多く作られ、県道37号線で愛称名白木街道と呼ばれている。