この道は中郡道で三田と狩留家の境付近
中郡道は地元では古往還と呼ばれていた

中郡道

 戦国時代末期、毛利輝元は天正17年(1589)広島城築城にあたり、吉田郡山城から広島まで、人の往来や資材の運搬に適した平坦で最短距離の路を在地領主に命じて普請した、この路が中郡道です。

夢街道ルネサンス ~西国街道(広島県東広島市)~ (mlit.go.jp)


さあ中郡道を歩いてみよう

狩留家村境の吊り橋を渡ろう

(2018年豪雨災害で流失した)

谷川の丸太橋を渡り中郡道へ

崖の上に建つ宮原観音

西福寺付近の当時の石垣が残る道

当時の石垣が残る。昔は石畳だった

楢崎圭三開道の碑

明治14年中郡道改良(楢崎道)した人

村境の中山峠は難所の一つ

樹林のトンネルの中を行く

神秘性が漂う石畳

人気のスポット
石畳は100mに渡り残っている

地元栗原地区の人がシイタケ栽培の生活道として使っている。

石段の長い栗原神社

栗原地区庄屋永井邸(山吉屋)前を行く

三田小学校前三篠川の滑ら石

自然の造形甌欠(おうけつ)がある

三田一族の墓所

三田最後の殿五郎衛門吉秀や一族の墓塔を見る

相撲取り松ケ濱の墓標 

天保7年建立

轟の瀬 川船の難所 

舟は新川を掘って通した

吉永地区

中郡道当時の石垣を残す 

吉永明神社 木製の鳥居

当時厳島神社に寄贈され、別名厳島神社ともいう

三田村と秋山村境の堂山

中世末まで成福寺があって、一体に寺町等の名を残し大伽藍を思わせた。

堂山の薬師堂

急な参道を上ると樹林の間に建つ。

お疲れさまでした